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「とろみスープ麺対決」うどん丸 VS 源頼朝 
~決戦の地・神奈川県~

うどん丸
源頼朝

「とろみスープ麺対決」うどん丸 VS 源頼朝 
~決戦の地・神奈川県~

 

 

いざ、源頼朝の待つ鎌倉へ出陣!

1180年、源頼朝は平氏と戦うため挙兵し、本拠地を鎌倉に置きます。鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれた天然の要害で、崖を切り開いた「切り通し」を通らないと入れない、全体がまさに城のような機能を備えていたのです。

いざ、源頼朝の待つ鎌倉へ出陣!

頼朝は鎌倉を武士の都とするため、今より海の近くにあった八幡神社を移動して鶴岡八幡宮とし、参道を中心に街を整備していきました。政治の中心となる御所は鶴岡八幡宮の東側に設置、その年の12月には家来311人を従えて御所に入りました。鎌倉幕府開府の年を以前は「1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府」と暗記しましたが、現在の教科書には全国に守護地頭を置いた1185年を鎌倉幕府開府として記載していることが多いようです。

頼朝・義経兄弟の運命を分かつ「腰越状」

源頼朝と弟・義経のエピソードで有名な地が「腰越」。鎌倉の西にある、元は小さな漁村で海沿いに鎌倉に入る際に通る場所でした。義経は源平合戦の功績により後白河法皇から冠位を授かったのですが、源氏の統領である兄・頼朝の承諾を得ていなかったため、頼朝は激高し義経が鎌倉に入ることを許しませんでした。また、頼朝の家来が義経の悪口を言っていたためとか、義経の戦の才能や人気に嫉妬していたためという話もあります。義経は腰越から頼朝に対し手紙を出します。いわゆる「腰越状」です。内容は、自分には頼朝を裏切るような気持ちは全くないこと、平氏との戦いでいかに命を顧みずに戦ったかということ、直接自分の思いを伝えたいが会うのを許されず悲しんでいることなど、源平合戦で勇猛果敢に活躍した姿とは全く異なる苦渋に満ちた文面です。それに対し頼朝は腰越状を無視します。義経は京都に戻り、後に東北に逃亡し最期を迎えます。

頼朝・義経兄弟の運命を分かつ「腰越状」

「サンマー麺」は、「秋刀魚麺」ではなく「生馬麺」

庶民的な町のラーメン店から高級中華料理店まで幅広く親しまれている、神奈川ご当地麺の「サンマー麺」。横浜中華街にある店のまかないがルーツといわれています。漢字で書くと「生馬麺」。その名の由来には諸説ありますが、中国語で「生」はシャキシャキとした食感、「馬」はのせるという意味だそう。シャキシャキとした食感の野菜がたっぷりのった麺というわけです。サンマー麺は店によってさまざまな具材を使用しますが、共通するのは、とろみのついた野菜のあんかけがかかっていること、具材にはもやしが入っていることなどがあげられます。たっぷりの野菜が摂れる中華スープ麺です。

「サンマー麺」は、「秋刀魚麺」ではなく「生馬麺」

和のあったかうどん「とろとろ卵の五目あんかけうどん」で対抗!

対するうどん丸は具だくさんの「とろとろ卵の五目あんかけうどん」で勝負!えび、しいたけ、まいたけ、コーン、きぬさや、かまぼこの入ったあんかけにとろとろふわふわの卵を加えた和のうどんです。あんかけのとろみはうどんを冷めにくくするので、熱々のまま楽しめます。また、しょうがの風味もきいていて身体の芯から温まります。

和のあったかうどん「とろとろ卵の五目あんかけうどん」で対抗!

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