発売から40年、愛され続けて来た『冷凍うどん』にちなんで太く長く愛され続ける各界の著名人の皆さんに<愛される秘訣>を教えていただきます!

来栖けい

来栖けい

第3回目のゲストは、〈美食の王様〉の異名を持つ、来栖けいさん。約20,000軒の店を食べ歩き、取材を一切しない独自のスタイルによる評論活動は、大きな反響を呼びました。
現在は執筆活動をすべてやめ、新たな道を切り開こうとしている来栖さんに、太く長く〈食〉にこだわり続けられる秘訣を伺いました。

〈美食の王様〉のルーツは、
子どもの頃に食したある食べ物にあった?

子どもの頃から、食べることへの興味はありました。
きっかけになったのは、5歳の時に近所のフレンチで食べたデザート。ドーム型の飴細工がかかったものだったんですが、宝石みたいに綺麗で、しかもそれが食べられちゃうっていうのが衝撃で。今思えば、何ともないようなものかもしれないけど、それから意識的に興味を持つようになりました。

もともと両親とも料理が大好きで、どうでもいいものを10回食べるんだったら、本当に美味しいものを1回食べたほうがいいっていう考え方を持った家庭だったんです。
普段は質素な暮らしをしていて、たまの贅沢が食事でした。幼少期に食べるものが味覚の基本になるというのは、たしかにそうだと思います。大人になってから急に身に付くものでもないのでね。母親は、ふだん食べるものも意識的に選んでいて、そこは両親にも感謝してます。

食にお金をかけることは、決して贅沢なことではない。

子どもの頃からフレンチ食べてた……なんて言うと、よく誤解されるんですけど、他の家庭なら少し奮発して洋服を買ったり、趣味のものにお金を使うのと同じように、僕の家ではそれが食事だっただけなんですね。
たとえば「高校生の女の子が1万円の服を買った」って聞いても、別に普通だなって思うじゃないですか?だけど、「高校生の女の子が1万円のコース料理食べました」って聞くと、「若いのに生意気な」なんて思われたりする。食にお金をかけるとものすごく贅沢に思われますけど、僕に言わせたら同じ1万円なんですよね。
もっと言えば、食は無くなってしまうからこそ価値があるというか。食べるっていう行為は、人間を作っていく上では絶対に必要なものだと思うし、内面にもいろんな影響を与えていく……だから、僕はとても大事なものだと考えているんです。

昔に比べたら食事にお金を使うことのハードルは低くなってきたかもしれないけど、それでもやっぱり料理って、単純に原価がどれぐらいかかってるからこの値段です、みたいなところで価値を判断されがちで。画家が絵の芸術性やセンスで評価されるように、料理も美味しさはもちろん、技術やセンスの部分をもっと評価されていいと思うんです。そうすれば料理は、もっと違う領域まで行けるはずだって信じてます。

食に関する執筆活動をやめたワケとは?

これまでに20,000軒ぐらい訪問してきましたが、それでも出会えない味があるからここまで来たんですが、実は僕、2年ほど前に食に関する連載記事とか評論活動を全部やめてしまったんです。以前、食べ歩きをやっていた頃、なんであれだけ精力的に回れたかっていうと、仕事としてやっていなかったから。気になる店があったらそこに食べに行くっていう、単純な動機だけで続けてきた結果なんです。あの時食べたこれが美味しかったから紹介しようって書いていたものが、いつの間にか仕事になってしまった。だけど、今はその気持ちがなくなってしまったんです。と言うのも、今の料理に発見や驚きを感じることが少なくなってしまったから。昔と違って、今はどこにいてもいい食材が手に入るようになってきているけれど、手に入るが故に食材や調理法の組み合わせの珍しさだけに陥ってしまったり、なぜこの食材を使っているのかという説得力を感じられない料理。あと、一言で説明つかない料理があまりにも多すぎる。そういう感じで、料理がどんどん本質からズレはじめてきてるんですね。