発売から40年、愛され続けて来た『冷凍うどん』にちなんで太く長く愛され続ける各界の著名人の皆さんに<愛される秘訣>を教えていただきます!

幼い頃から蓄積した知識と、現在の自分から湧き起こる好奇心とをつなぎあわせることの楽しさが、泉さんのお仕事の原動力になっているそう。

僕は記憶の再生作業みたいなことが、昔から大好きで。
子どもの頃、大掃除を手伝っていると畳の下から5、6年前の新聞が出てきたりするじゃないですか。
昔の新聞のTV番組表を眺めては、幼稚園の頃はどんな番組がやっていたかとか回想したり。
そういうことは、本当にこの頃から好きでしたね。

今も、暇があると国会図書館に行って、新聞の縮刷版を読んだりします。
昭和37年なんて何度も読んでるはずなのに、読むたびに見落としてた小さい記事を発見したり、グサッとくるような薬の広告を見つけたり(笑)。
そうやって昔の新聞や、日記のような記録をきっかけにして、当時の記憶が今でも鮮明に蘇ってくるし、バラバラに覚えていた自分の記憶が、何かのきっかけでつながる瞬間が面白いんです。

それって、町を歩く楽しさとも似てるところがありますね。
この道は、あの道とこうつながってるのかって知る瞬間みたいな。
今でも時間があると知らない町を歩いたりもするけど、さすがに東京の中では降りたことがない駅っていうのも無くなってきましたね(笑)。
でも、まだ曲がってない道とかあるんでね。町歩きは相変わらず楽しいですよ。

さて、テーブルマークは冷凍うどん発売40周年を迎えましたが、泉さんの40年前は?

昭和49年。長嶋茂雄が現役引退した年ですね。
僕は高3だったけど、学校帰りに雀荘で補導されてね(笑)。
まだサッカー部に在籍してたので丸坊主にしなきゃいけなくなって。
床屋さんにいったら、店主がちょうど『仁義なき戦い』にハマってて、角刈りにされたのを覚えてます(笑)。

そういえば、昭和40年代ぐらいからスナックって出来はじめたんだけど、最初の頃は今でいうクラブとかカフェ的な、カッコいい場所だったんですよ。
パープルシャドウズの「小さなスナック」っていう歌があったように、若い人たちのたまり場だったんだよね。
それからちょっと経って、駅前の飲み屋風になったスナックの定番メニューが、焼きうどんだった。大学のサークルで集まったりすると、必ずといっていいほど注文してた覚えがあるなぁ。

テーブルマークさんは、もともとは香川が発祥なんですよね?
以前、そちらのほうに行った時に、讃岐うどん屋を何軒か行脚することがあったけど、醤油かけただけとか、釜玉うどんとか、いろいろな食べ方があるのは面白いですね。
でも、香川のうどん屋さんって、うどん以外にもオプションがたくさん置いてあるから、それだけでお腹いっぱいになっちゃう(笑)。

僕は、東京で生まれ育ったので、出前っていうとだいたい蕎麦だったから、子どもの頃はうどんっていうと、お腹の調子がよくない時に母親が作ってくれるものってイメージはあった(笑)。
それからしばらく経ってから、いろんな種類のうどんがあるのを知ったけど、稲庭うどんの存在を知った時は驚きでしたね。こんな細いうどんがあるのか、って。昔は、普通のうどんかきしめんぐらいしかポピュラーじゃなかったから。

今となってはいろんな種類のうどんが一般的になったし、食べ方のバリエーションもたくさん生まれてるけど、たとえば『焼きうどんが、若い人たちの流行だった』みたいな時代もあったわけですからね(笑)。
うどんから時代を切り取ってみるのも、面白いかもしれないですね。