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「シーフード麺対決」うどん丸 VS 天草四郎~決戦の地・長崎県~

うどん丸
天草四郎

「シーフード麺対決」うどん丸 VS 天草四郎~決戦の地・長崎県~

 

 

いざ、天草四郎の待つ長崎・島原へ出陣!

長崎はキリスト教が早くから根付いた土地です。1550年長崎・平戸でフランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教を始め、1570年には最初のキリシタン大名といわれる大村純忠が長崎港を宣教のための港として開港しました。しかし、江戸幕府によってキリスト教禁止令が発令され、キリシタンは迫害されるようになります。

いざ、天草四郎の待つ筑前・福岡へ出陣!

1637年、もともとはキリシタン大名・有馬晴信の領地であった島原の領民は、禁教後のキリシタンへの迫害や凶作の中の重い年貢の取り立てに苦しんでいました。約3万7千人の領民は武装蜂起し、原城に籠城しました。これが「島原の乱」です。反乱は3か月程で幕府によって鎮圧されましたが、残った領民はいわゆる「隠れキリシタン」として解禁となる明治までの約250年間、ひっそりと信仰を守り続けました。
長崎では、禁教時代に隠れて信仰されていた地や、解禁後に建てられた教会などを「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産登録を目指しています。

いざ、天草四郎の待つ筑前・福岡へ出陣!

ホントにいたの?謎の人物・天草四郎

島原の乱において領民を率いたのが、天草四郎。当時まだ16歳の少年だったそう。天草四郎の本名は益田四郎。島原から海を隔てた対岸にある天草を治めたキリシタン大名・小西行長の家来である益田甚兵衛の息子だといわれていますが、詳しい生涯については分かっていません。島原の乱においても反乱軍の総大将に担ぎあげられましたが、実際に領民を率いていたのは有馬氏・小西氏の元家来達だろうといわれています。また、豊臣秀吉の息子・秀頼の息子であるという伝説もあり、謎の多い人物です。

裏切り者?博多と天草四郎の微妙な関係

国際色豊かな長崎の味「長崎ちゃんぽん」

早くからキリスト教が根付き、江戸時代には外国との唯一の玄関である出島が築かれ、幕末には長崎港が最初に開港されるなど、長崎は海外の文化が入ってくる国際色豊かな土地です。食についても同様で、そのひとつが「ちゃんぽん」です。明治32年、長崎市の中華料理店が長崎に来ていた中国人留学生のため、具だくさんでおいしい麺料理を作ったのが始まりです。やがて日本人にも人気となりました。この「ちゃんぽん」という名称の由来には、中国・福建省の言葉で「吃飯(ご飯は食べましたか?)」が「ちゃんぽん」と聞こえたから、インドネシア語の「混ぜる」という意味の言葉「チャンプール」など諸説あります。

博多屋台グルメ・新定番「焼きラーメン」

シーフードでは負けてはおれぬ、海鮮塩バター焼きうどんで対抗!

対するうどん丸は、「海鮮塩バター焼きうどん」で勝負。えび・あさり・いかの旨みにバターの風味が加わり、食欲をそそる一品です。コシのあるうどんに、トッピングした半熟の目玉焼きを割ってトロっとした黄身を和えるとさらにおいしくいただけます。

博多グルメなら、「もつ鍋風煮込みうどん」で対抗!

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