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「九州の屋台メニュー対決」うどん丸 VS 黒田如水~決戦の地・福岡県~

うどん丸
黒田如水

「九州の屋台メニュー対決」うどん丸 VS 黒田如水~決戦の地・福岡県~

 

 

いざ、黒田如水の待つ筑前・福岡へ出陣!

黒田如水(黒田官兵衛)と息子の長政は1600年筑前国に入り、翌年から福岡城の築城を始めます。当初、既にあった名島城に入城しましたが、名島城は博多湾に突き出た岬にあり、戦には向いていますが城下町を作る土地がなかったため、新たに城を築くことにしたのです。
福岡城は熊本城をしのぐ規模を誇り、天守台、本丸、二の丸、三の丸と47もの櫓がありました。現在は天守台といくつかの櫓が残っている他、黒田家の菩提寺である崇福寺に本丸表御門が移築されています。
福岡という地名は、黒田家にゆかりがある備前国・福岡(岡山県)にちなんで名付けられました。1602年に如水が太宰府天満宮に奉納した連歌の「松梅や末永かれと緑立つ山より続く里はふく岡」という歌に初めて「福岡」という地名が見られます。

いざ、黒田如水の待つ筑前・福岡へ出陣!

裏切り者?博多と黒田如水の微妙な関係

博多は戦国の戦乱により荒廃していましたが、中津藩(大分県中津市)の藩主であった如水は秀吉の命により博多の復興に尽力しました。如水の計画により復興した博多の街は「太閤町割り」と呼ばれました。さらに秀吉は朝鮮出兵により莫大な利益をもたらし、博多の商人を重用しました。
しかし、秀吉の死後、黒田家は関ヶ原の戦いにおいて徳川方に付いたため、如水と長政が筑前国に入る際、博多の商人の反対にあいました。そこで如水は、かつての復興の際に協力的であった商人の一人・神屋宗湛(かみやそうたん)のもとに1ヶ月程留まり商人らを説得させました。緊迫した中、武装した姿での黒田家の入国は「筑前御討入」と呼ばれています。

裏切り者?博多と黒田如水の微妙な関係

博多屋台グルメ・新定番「焼きラーメン」

博多のグルメポイントと言えば、やっぱり屋台。博多の中心地である天神や那珂川沿いの中洲にたくさんの屋台が立ち並びます。代表的な屋台グルメは、博多ラーメン、一口餃子、おでん、串焼きなどバラエティに富んでいます。隠れた人気メニューが「焼きラーメン」。麺、野菜、豚肉等の具材を鉄板で炒め、とんこつスープやウスターソースで味付けするのがスタンダードな焼きラーメンですが、塩味、醤油味と店独自の味が楽しめます。

博多屋台グルメ・新定番「焼きラーメン」

博多グルメなら、「もつ鍋風煮込みうどん」で対抗!

対するうどん丸はもつ鍋風煮込みうどん。博多のもつ鍋は寒い季節はもちろん、暑い夏でも一年中食されています。アルミの鍋に、プリップリのもつとたっぷりのキャベツ、にらを入れ、にんにくと唐辛子を加えて煮込みます。
そんなスタミナ満点の鍋に相性がよいのは、太麺の「丹念仕込み 本場さぬきうどん」。煮込んでもモチモチとした食感が楽しめます。もつの旨みたっぷりのスープでいただくうどんは格別の味わいです。

博多グルメなら、「もつ鍋風煮込みうどん」で対抗!

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